071234567891011121314151617181920212223242526272829303109

category :癌宣告

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

子宮癌罹患履歴

告白

子宮癌罹患履歴


乳癌の事ばかり、書いていました。

確かに私は乳癌患者です。


でも、まだお伝えしていないことが…。

子宮頸癌の罹患履歴も持っています。

当時、東京に住んでいた私はまだ独身でした。

でも、なんていうか下腹の痛み、不正出血、などいろいろ症状があって、初めて婦人科のドアをたたきました。

触診から、細胞を取る細胞診。結果は一週間後。

まさか私が・・・という気持ちでその日々を過ごしました。

これまでの人生、生理も順調、生理痛すらないくらい楽に過ごせてました。


ところが、次の診察日、私は地の底に落ちました。

「子宮頸癌です。全摘しないと、卵巣やほかの臓器を癒着させてしまいます。」

「決断を早くお願いします。」



嘘だぁぁぁぁ。私が癌なんて。

ですから、乳癌の「癌」宣告は2度目。

でも何回聞いても慣れるわけがない。



当時私は、一応大企業の中で広報、販売促進の仕事をしていました。

仕事は楽しく、やりがいもあり、自分にしかできない仕事も抱えていました。

そんな、仕事を失いたくない。という気持ちも強かった。

でも何より、私は、子供を産みたかった。

愛する人の子供を産んで、幸せな家庭を持ちたかった。


何度か書かせていただきましたが、私の育った家庭は、喧嘩、嵐、憎しみの吹き溜まり。

「子供なんて産まなきゃよかった」と面と向かって言われたことも多々あります。

反面教師なんでしょうか?そんな家庭は絶対作りたくないと、強く望んでいたのです。


その時から、私の婦人科めぐりが始まりました。

国立がんセンターもいきました。

10か所くらい診察に行きました。

でも、どの病院でも、「全摘」、「子宮全摘」

「全摘」にこころが折り合えない私は、そのうち診察を含め治療自体をやめてしまいました。

確かに不安はありました。

でも、「子供が産めないなら死んだほうがまし」

という、私なりの信念、気持ちが「癌」の不安に勝ってしまいました。

以降はほったらかし。

不安がなかったとは言えません。



それから数年、写真家の弟子入りをして、デビューし、仕事も順調になったころ

だいすきな祖母に介護が必要になってきたのです。

車を運転できない母は、通院にも苦労していました。


私は、祖母のために、関西に帰ろうと悩んだ末、東京を引き払って実家に戻りました。


だって、嵐の吹き荒れる家庭で唯一祖母だけが、孫に愛情というものを教えてくれたのです。



確実に関西では、東京と違って、出版の仕事や、撮影機会すら減ってしまうのはわかっていました。


でも私には家族が大切だった。特におばあちゃんが・・・。

苦労を掛けたおばあちゃんにできることを今しなきゃいけないと思いました。



その決断が運なのか、縁なのか、ありがたいことに家の近くにとてもいい婦人科の病院がありました。

そこに来ていた阪大の先生が、「全摘の必要はない。出産の可能性も十分あるから。」と言ってくださったのです。



国立がんセンターは何だったんだろう?


私はその先生の治療を受けることに決めました。

3泊4日の入院。円錐切除の手術は痛みこそあれ、こころを安定させてくれました。


今こうやって、過去の子宮癌の事を書けるように、いつか乳癌の事も過去の話としてできる日が

ることを祈っています。


いや、信じているのかな?



にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
にほんブログ村

にほんブログ村 写真ブログ 女性カメラマンへ
にほんブログ村



スポンサーサイト

テーマ:心の叫び
ジャンル:心と身体

やっぱり癌・ガン・がん。


9月、外科医師に大誤診され、医大の乳腺外来のN先生に診察してもらったのは、
11月も近くなった頃でした。

そのころには、変な話ですが、ブラをしてもヒリヒリ感、Tシャツでも痛みのような、ざわざわした

感覚が胸にありました。

何かにあたると、ヒッってなるくらい・・・。

しこりも、大きいのが確認できました。

N先生の最初の診察から、一週間後の金曜日、主人が休みをとって一緒に病院に行ってくれました。

10時頃から2時間ほど待ちました。

2時間が、何日にも思えるほど。私は不安で黙り込んで、待合室に主人と並んで座っている。

「混んでるね」と主人も少しイライラしていましたが、

私の本音は、もう家に帰りたい、結果なんか聞きたくない!

でも、癌だったら、いつ死ぬの?いつまで生きられるの?

ネガティブな考えと、大きな不安で心は一杯。

「死ぬ」ってどういう風になるんだろう…?

逃げ出したい。


心理のことわかっているのに、自己カウンセリングは全くできませんでした。


やっと、名前が呼ばれた時、私の心はそこになく、主人に促されて、診察室へ・・・。

N先生は、前回と変わらず、にこやかで穏やかな表情で「お待たせしました」と迎えてくれました。

でも、私の様子がおかしかったのでしょうか?先生は、主人の方を向いて話し始めました。

「ご主人が一緒でよかった。検査結果ですが、間違いなく乳がんです。ステージは3b。

かなり癌細胞が活動しています。一日も早い治療をしないと、どんどん癌細胞が活動し始めて

ほかの部位にも転移すると思います。癌細胞の活動率が90%と非常に高いです。

早い決断をおすすめします」

もう私は涙があふれ出てうまく話すことができません。

でもN先生はやさしく語りかけます。

「治療は、まず大きくなりすぎている癌細胞を抗がん剤で小さくします。今の状態では手術は

できません癌細胞が3つあり、一番大きなものは5cm位の大きさになってます。まずは抗がん剤を

投与して、がん細胞が小さくなった時点で手術をします」

主人は「乳房の温存は?、術後の再建手術とかできますか?、ほかに選択肢は?」

と冷静に尋ねます。

その時、なぜか私の口から出たのは「先生、乳首は残るのですか?」

N先生は「今の癌の場所が悪い。もし小さくても、それは再発の可能性を残すことなので

無理です。私は一番安全な乳房全的手術を考えています。」

主人がしばらく黙り込んだ後、「申し訳ありませんが、セカンドオピニオンも聞いてみたいのですが」

N先生は嫌な顔ひとつせず、いいですよと・・・。ただあまり時間がないことを告げました。

N先生は、大阪府下で癌の治療実績No1の、病院に紹介状を書いてくれました。

その病院は事前に主人が調べて、ここで診てもらいたいと伝えたようです。

でも、その病院も1カ月以上の待ちでした。

診察室を出て私は喉の渇きに耐えきれすお茶を飲みました。

とりあえず、ほかの先生に診てもらおう。それが主人の意思でした。

私は母に電話をかけ、冷静に癌告知の全体を説明していました。

その日の私は、言葉もなく、ただただ泣いて過ごしていたことを記憶しています。

私が「癌」。乳房全摘?

嘘だ‼ ありえないよ‼ なんで私が……

家で犬を抱きしめ、ずっと泣いて過ごしました…


私の心の声:この子たちより生きられるの?






にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 生きづらさへ
にほんブログ村








診察待ちの一か月半、そして...癌宣告

前回のブログが途中で終わってしまいました。

その後を少しつづりたいと思います。

外科の先生に陰性と言われ、その後、乳腺専門の先生の受診まで一か月半ありました。

癌のはずがない!そう思いながらも、不安で引きこもりの生活が始まりました。

親族に乳がんに罹患した人はいない。実家の母にも聞いてみました。

ただ、父が肝臓と肺の癌で60歳で亡くなっています。


私は、大大大好きな祖母を一年前に亡くしていました。

また、私の骨折前に甥っ子の従妹が自殺するという出来事もあり、

無意識に≪死≫という言葉が頭に浮かんでいたのだと思います。

その期間どう過ごしたのか、今は思い出すことができません。

ただ家にずっといた。誰にも会いたくなかった。

携帯もPCも私には必要ない。そんな期間だったように思います。

主人はそんな、私を見て、どれだけ不安だったでしょう。

とても気を使ってくれたこと、記憶にあります…

足の骨折が治ってなかった時でもあり、『家事は一切しなくていいよ』

と言ってくれていました。

日々生きながら、不安で押しつぶされそうで、お酒の量も増えていました。

そして、一か月半が経過し、やっと医大からきている乳腺専門のN先生の診察を受けることになりました。

私は、腫瘍が陰性だと言われたこと。でも不安であることを、

少しおどおどしながら話した記憶があります。

N先生はゆったりと穏やかな方で、診察しましょうと....

前の検査と同じ事をしました。ただ、触診の段階ですぐに先生の顔が曇り、

聞きたくなかった“癌”という言葉を、私は聞き逃せませんでした。

前と同様に、エコー、血液検査の腫瘍マーカー、そして、乳房下にメスをいれて、

細胞をとりました。

先生は、細胞診の結果を一週間で出すから、次の金曜日に、全身CT検査の受けるように、と。

その後、言われた言葉です。

≪ほぼ、乳がんで間違いないでしょう。詳しいことは検査結を診てみないと、

ただ、私の経験からいっても悪性でしよう。≫

前回の検査は、何だったのでしょう?大誤診??

私は、立つ力もなく、ただただ茫然とし、めまいに襲われました。

私が癌。

癌、癌、癌、癌、癌????


正式な癌宣告、そして生きる気力を失っていく自分に直面するとは…

帰りの車の中で涙が溢れ、何も見えなくなりました。。。


にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 生きづらさへ
にほんブログ村


IMG_1988.jpg










プロフィール

ぴよこまめ

Author:ぴよこまめ
女性フォトグラファー
心理カウンセラーで、
わんこ・にゃんこたちを
愛してやまない私。
乳がんの闘病記
人のこころ、動物のこころなども
ポツポツ書いていきます。

タイトルは、ふくねこ食堂さんから暖簾分けしてもらいました。

最新記事

月別アーカイブ

カテゴリ

訪問ありがとうございます。

ようこそ

フリーエリア

ブロとも申請フォーム

ブロとも一覧

最新トラックバック

リンク

検索フォーム

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム

RSSリンクの表示

QRコード

QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。