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category :死ぬということ

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「癌」で死ぬということ 続き

Tおじさんのこころを考がえてみました。


実は昨日からTおじさんの事が、頭から離れなくて、心配で心配で、仕方ないのです。


今日はお見舞いに行こうと思っていたのですが、ICUにいるのであれば、家族以外はお見舞いもできないし。

そして、なんか頭使いすぎなのか自分も熱出てきて・・・。


あーん、うまくいかない。

何に腹立っているのかもわからず、やるせなさと無力さと・・・。


おじさんの娘のYちゃんにあとで電話してみようと思って時間のたつのをじりじり、イライラしながら待っています。


「俺は死ねん。家族残しては死ねん。」
の言葉が頭から離れません。

「母ちゃん、点滴外そうかと思ったりする。安楽死ってやつになるんかな?」

Tおじさんの奥さんは、急性硬膜外血腫に突然みまわれて、それいらい、右半身不随、会話もできず、自分で動くことができない状態です。

私も千羽鶴を折って何度かお見舞いに行かせていただきました。

でも、何を語りかけても、身体をさすっても反応がない。

私が知っているのだけで、3回転院させられています。

今は、そういう患者さんだけを集めた、施設で過ごされています。

今の施設に移る前まで、Tおじさんは、自分の癌の治療をしながら、毎日一日も欠かさず、約一年、奥様の病院へ行っていました。

そして、奥様のための、毛布やブランケット、枕など、少しでも環境を良くしてあげるために、私に、買い物に付き合って欲しいと言って、よくスーパーや百貨店の寝具売り場に行きました。

「そんなある日、娘のYちゃんに電話してくれないか?」と頼まれました。

「母親があんなになってしまって、娘が一番辛いんだと。せめて話を聞いてやってほしい。」

「自分の事もカウンセリングできないのに、人に対して何ができるのか?」

それでも、電話していました。

Yちゃんは、電話の向こうで泣いていました。そうですよね。同時に、母親と父親の命の問題を背負ってしまったのですから・・・。


後でおじさんは言ってました。「娘にだけは、心配も苦労もかけたくないんや。」と。

今の私に何ができるのでしょう?

ただただ、祈るのみです。

「祈り」は届くと信じています。信じなきゃ届くものも届かない。

今病院で懸命に闘っているTおじさん、そして彼の一番の気がかりである、奥様、娘さん。

どれほど理解できているのかわかりませんが、精いっぱいの祈りをささげたいと思います。


神様は無情ではありません。

主人と一緒にお見舞いに行ける日を待ちたいと思います。


おじちゃん、「癌」なんかで死んだらだめだよ。私も頑張るから。

一緒にやっつけようね。

そう願い、祈る私の一日です。

おじちゃんが退院するまでに、好きなバラ育てておくから。



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「癌」で死ぬということ

「癌」で死ぬということ


夕方、昨日松下病院で癌の手術を受けたTおじさんから電話がありました。

「俺は家族を置いて死ねん。生きる。」・・・。と。

「もう今は電話とかしなくていいよ」

でもいつもの声とも違う、ICUからまだ出られないとの事。


後何か言っていましたが、声がこごもって、聞き取れませんでした。


今聞くことは、おじさんのためによくないと思って、聞いたふりをした私がいました。

ごめんね、偽った風に装って。


もういいよ、今は誰にも連絡しなくていいよ。
私はずっと祈っているから・・・。
の願いが届けばいいと思いました。

私が先々週入院した時、Tおじさんが付き添ってくれました。

主人は仕事で帰れない、お向かいの奥さんも、出かけていた。

だから、おじさんに頼んだら、車で飛んできてくれて、入院の手続きも見守ってくれました。


あまりにも緊急だったので、コップ、お箸、おまけにパンツ、タオルを忘れてしまいました。

そしたら、Tおじさんは近所の薬局でパンツ以外のものを買ってきてくれました。


「ゆっくりしいや。お前無理しとるねんから。娘みたいなもんや。心配せんわけないやろ。」

と言って、ベッドで点滴を受け始めてから帰って行きました。



実は、私の父も同じ病で60歳で亡くなりました。Tおじさんより少し若いかな?


いや、生きてれば同じ年代。


しかも定年退職した翌日。

定年のパーティを父にとっての孫たちと、一緒に過ごした後、日をまたぐ時間帯、家で息を引き取りました。

救急車を呼びましたがもうすでに息を引き取っていました。

当時私は東京で仕事をしていたのですが、たまたま帰郷していて父の死に目に立ち会うことができました。


そして亡くなる日の夕方に帰って行った姉家族は、どんな遺憾な思いを残したのでしょうか?

さっきまで一緒にいたのに・・・。

時たま。そういう話を姉とします。


父は、「癌」で相当身体が弱っていたのだと思いますが、最後は呼吸不全からくる心不全でした。


肺と、肝臓を切り取られ、抗がん剤を拒否し、それでも10年以上生きてくれました。


だから私の中で、父親とTおじさんが重なっているのは事実です。


今自分が「癌」となってから、最近勉強を始めました。


父の死は私にとって、人生を変えるものでした。

愛していたんだと、改めて感じました。不器用だったのだけかもしれない。

でも父も私たち娘を愛してくれた。今はそれを誇りに思います。


決していい親子関係で育ったわけではないですが、晩年の父は優しかった。


時たま、東京にいる私に電話してきました。


「孫が来るんやけど、何がうれしいかな?俺わからん・・・」


「そんなん、お父さんが選んだものが一番いいよ。

でも今あの子(孫)はこれが好きだから、このキャラクターものだったら大丈夫じゃない?」


なんて会話をした覚えがあります。



この世の中、癌と宣告され、命を失われる方が多いような気がします。


60歳なんて若い。


だからTおじちゃんにももっと長生きしてほしい。

辛いのは「家族を置いて死ねん」と私に言ったことです。

きっと家族には伝えるには恥ずかしかったのかな?

彼の奥様は、治る見込みがなく、ずっと完全介護の施設に入っています。

改善する見通しもないそうです。


少し前聞いた言葉。Tおじちゃんが「安楽死も選んでいいんだよね。」って。

私には返す言葉もありませんでした。


その苦しみと、術後のおじさんの辛さをを今一緒に共感したいと思いました。




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プロフィール

ぴよこまめ

Author:ぴよこまめ
女性フォトグラファー
心理カウンセラーで、
わんこ・にゃんこたちを
愛してやまない私。
乳がんの闘病記
人のこころ、動物のこころなども
ポツポツ書いていきます。

タイトルは、ふくねこ食堂さんから暖簾分けしてもらいました。

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