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子宮癌罹患履歴

告白

子宮癌罹患履歴


乳癌の事ばかり、書いていました。

確かに私は乳癌患者です。


でも、まだお伝えしていないことが…。

子宮頸癌の罹患履歴も持っています。

当時、東京に住んでいた私はまだ独身でした。

でも、なんていうか下腹の痛み、不正出血、などいろいろ症状があって、初めて婦人科のドアをたたきました。

触診から、細胞を取る細胞診。結果は一週間後。

まさか私が・・・という気持ちでその日々を過ごしました。

これまでの人生、生理も順調、生理痛すらないくらい楽に過ごせてました。


ところが、次の診察日、私は地の底に落ちました。

「子宮頸癌です。全摘しないと、卵巣やほかの臓器を癒着させてしまいます。」

「決断を早くお願いします。」



嘘だぁぁぁぁ。私が癌なんて。

ですから、乳癌の「癌」宣告は2度目。

でも何回聞いても慣れるわけがない。



当時私は、一応大企業の中で広報、販売促進の仕事をしていました。

仕事は楽しく、やりがいもあり、自分にしかできない仕事も抱えていました。

そんな、仕事を失いたくない。という気持ちも強かった。

でも何より、私は、子供を産みたかった。

愛する人の子供を産んで、幸せな家庭を持ちたかった。


何度か書かせていただきましたが、私の育った家庭は、喧嘩、嵐、憎しみの吹き溜まり。

「子供なんて産まなきゃよかった」と面と向かって言われたことも多々あります。

反面教師なんでしょうか?そんな家庭は絶対作りたくないと、強く望んでいたのです。


その時から、私の婦人科めぐりが始まりました。

国立がんセンターもいきました。

10か所くらい診察に行きました。

でも、どの病院でも、「全摘」、「子宮全摘」

「全摘」にこころが折り合えない私は、そのうち診察を含め治療自体をやめてしまいました。

確かに不安はありました。

でも、「子供が産めないなら死んだほうがまし」

という、私なりの信念、気持ちが「癌」の不安に勝ってしまいました。

以降はほったらかし。

不安がなかったとは言えません。



それから数年、写真家の弟子入りをして、デビューし、仕事も順調になったころ

だいすきな祖母に介護が必要になってきたのです。

車を運転できない母は、通院にも苦労していました。


私は、祖母のために、関西に帰ろうと悩んだ末、東京を引き払って実家に戻りました。


だって、嵐の吹き荒れる家庭で唯一祖母だけが、孫に愛情というものを教えてくれたのです。



確実に関西では、東京と違って、出版の仕事や、撮影機会すら減ってしまうのはわかっていました。


でも私には家族が大切だった。特におばあちゃんが・・・。

苦労を掛けたおばあちゃんにできることを今しなきゃいけないと思いました。



その決断が運なのか、縁なのか、ありがたいことに家の近くにとてもいい婦人科の病院がありました。

そこに来ていた阪大の先生が、「全摘の必要はない。出産の可能性も十分あるから。」と言ってくださったのです。



国立がんセンターは何だったんだろう?


私はその先生の治療を受けることに決めました。

3泊4日の入院。円錐切除の手術は痛みこそあれ、こころを安定させてくれました。


今こうやって、過去の子宮癌の事を書けるように、いつか乳癌の事も過去の話としてできる日が

ることを祈っています。


いや、信じているのかな?



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テーマ:心の叫び
ジャンル:心と身体

プロフィール

ぴよこまめ

Author:ぴよこまめ
女性フォトグラファー
心理カウンセラーで、
わんこ・にゃんこたちを
愛してやまない私。
乳がんの闘病記
人のこころ、動物のこころなども
ポツポツ書いていきます。

タイトルは、ふくねこ食堂さんから暖簾分けしてもらいました。

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